
最近の酷暑が生をやけにリアルに浮き立たせる。ほとばしる体液、汗の匂い、荒い息づかい、虚ろな眼、不機嫌な口元、人間が生き物であることを否応なく突きつける。
生の醜さ。女性の露になった肩や脚でさえ吐き気を催させる。真夏の暑さが普段は人間を包んでいるベールを溶かしてしまうのだ。そうして僕は電車の中を吐き気と闘いながら目的地へ向かう。何とも空虚な目的地へ。
然し、暑い。
パスカル・キニャール 高橋 啓 訳「アマリアの別荘」青土社 2010
小説を読んでいて久しぶりにその世界に引き込まれた。
音楽について、一人の女性の人生について、彼女を取り巻く世界と人間の交錯そして崩壊。確かな物語の筋を拒否しているように見え、とても脆い薄いガラスの地盤の上を走るような物語。いつ崩れ落ちるのかビクビクしながら読み続けるが、彼女自信は壊れることなく、周りの世界が崩れていく。でも、取り巻く世界の崩壊は彼女自身の崩壊と同義ではないのか?彼女にとっては同義ではないらしい。彼女は余りに強く、そして脆い。
彼女は走り続ける。周囲の男は余りに弱い。走り続ける女と走り続ける男は決して交わらない。
愛の手応えのなさ。男と女の繋ぎ止めるものの弱さ。男の弱さ故なのか、女の酷薄さのためなのか。愛する者は例外なく失われる、色褪せていく。それを空しいと言っては生きることが虚ろと言うのに等しい。それは正しいが声高に叫ぶことでは決してない秘かな密やかな真実のささやき、耳を澄まさなければ聴こえない流水の音。
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