バド・パウエルというピアニストがいた。

ジャズが好きな人であれば知らない人はいないというピアニストだ。
チャーリー・パーカーやセロニアス・モンク、マックス・ローチなどとモダン・ジャズの黎明期に今のジャズの形を創り上げた偉大なプレイヤーの一人だ。
精神病院への入退院を繰り返し、電気ショック療法で廃人同然となり、アルコール中毒に蝕まれたりして、まともにピアノが弾けない時期も長かったというが、時に奇跡的な演奏を残した。
その演奏は、超絶技巧であるが、私には、まとわりつくような空気感、重苦しさ、天上に昇りきれない堕天使の喘ぎ、たまらなく切なく悲しくなる響きと旋律だ。
かつて精神的に疲れていたとき、不安定であったとき、そんなときにバド・パウエルばかり聴いていた。
今さっき、買って積んでいた詩集をふと手にしてパラパラと頁を繰っていたら一編の詩が目にとまった。「バド・パウエルに捧げる二つの詩」。
・・・(略)・・・
二十一世紀の こんな空しく クソったれで出鱈目な
気分のうちに 沈みかけ
胸のわるくなる日々を過ごす
おれたちに語りかける
まるだ気違いバドの
ちょっぴり気違いじみた ピアノの詐術のうちに
おれは やっと安心できる
隠れ家を さがしてる みたい
・・・(略)・・・
みたくもないものに
みちみちた世界
遁走する土地さえもない
いまなお狂いそうになる人間の
隠れ家になってくれそうな
バド・パウエル
泣いているような もがいているような
それでいて嬉しくなり
両頬の ゆるみそうになる
ウン・ポコ・老狐
ウン・ポコ・狼虎
飯島耕一「バド・パウエルに捧げる二つの詩」(詩集「アメリカ」より)
ああ、これなのだ、と独りごちた。
戦後の現代詩を切り開いてきた大詩人が言いたくても表現できなかったことを書いていてくれている、というのもおこがましいが、世界が違和感に満ちたものとなるときにバド・パウエルはやってくる。違和感が、世界の内に問題があるためでなく、飽くまで自分の内の問題なのだとしても、バド・パウエルは優しく狂気をあからさまにして、ウン・ポコ・ロコ、ウン・ポコ・ロコ(ちょっと狂っている)と、鍵盤を叩き、僕らに世界を覗く覗き穴を渡してくれる。
昔「ラウンド・ミッドナイト」という映画があった。
テナー・サックスのデクスター・ゴードン(彼も既に故人だ)が主演し、アル中で落ちぶれた偉大なプレイヤーがパリに渡り熱烈なファンの一人に支えられ最後の輝かしい日々を過ごすというストーリーだ。
モデルはバド・パウエル。

彼に「At the Golden Circle (Vol.1~5)」というアルバムがある。
死の数年前のヨーロッパ滞在、ストックホルムのゴールデン・サークルというライブハウスでの演奏を収録したアルバムだ。
指はかつてのように回らない。
たどたどしく鍵盤の上を引きずり回る。
それでいて一音一音、大切に、別れを惜しむかのように、奏でられる。
ミスタッチ?それもまた音楽の一部だ。
これもまた音楽の奇跡なのだ。